ここのところ、複数方面から、AIが人に代わってさまざまな仕事をこなしているという話を聞きました。
なんでも、中には「ここにデータがあるから、このソフトを使って、この資料を作って」という具合に指示を出せば、指定したソフトを使い、指定した形で資料を作ってくれるものもあるようで、「AI社員」的な言葉で表現されるらしいです。
私も一人で運営している自営業なので、この存在はありがたい。ちょっと導入を考えてみました。
そのうえで、資料作成のほかに思いついたのが情報収集です。
今までは、読んで理解できたりできなかったり、途中で挫折したりしながら向き合ってきた専門書たちを、電子書籍でAIに読ませ、「わかりやすく要点だけを伝えろ」ということができてしまうのではないかと思い付きました。
もしできるなら、これはすごい……。
一方で、妙な違和感もあります。
どういうことかというと、今までは一冊の専門書を読むのにも、だいぶ時間がかかったり、頭を悩ませたりしてきたわけです。あの時間は果たして無駄だったのだろうか?
また、なんだかこういうことを繰り返していると、AIの掌の上で転がされているだけのような気もしてなりません。
多分、同じような違和感を抱いている人はかなり多いのではないかと思います。
最近、ショート動画などで、短時間でまとまった情報を得ることに慣れてしまう、いわゆる「ドパガキ」的なことがよく言われますが、私自身にもこの傾向はあります。まず、分厚い本を読もうと思わなくなってしまっています。結論までが冗長だったり、途中の思考が自分と相いれないものがあったりすると読む気が薄れてしまったりもします。
より効率的に、短時間で求める情報だけが欲しい。そんな気持ちが強くなりすぎている気がするのです。
コストパフォーマンスというのは、人にとってかなり魅力的な要素で、短時間で最大の効果を得られる満足感は捨てがたいものです。
他方、失敗と試行錯誤を繰り返した末に成功したときの快感は、それよりもだいぶ大きい。要するに、失敗と試行錯誤に費やした悶々とした時間までが、成功したときの喜びに上乗せされているのだと思います。
コストパフォーマンス重視だと、快感を継続的に得るのに対して、こちらは悶々としてから余韻の残る大きな快感を得る、そんなイメージです。実際、短期的に得た快感はそれを得たシーンを思い出すことができないのですが、長期的なほうだと何年たっても得られたシーンが思い出せます。
生物の観察なんていうのは、これの最たるものだと思います。
あれこれ予測を立てて臨んでも、失敗することの方が圧倒的に多いです。それでも、試行錯誤の末にうまくいったときは楽しい。
この楽しみを自分の中に持っていてよかったと思います。
ビジネスをするうえで、コストパフォーマンスの追求は欠かせない要素ですし、自分もそこは追求していかなければならないと思います。
ただ、その一方で、長期的に何かを積み重ねていくことや、その過程で得られる喜びのようなものも、これからは広く伝えていく必要があるのではないかと思っています。むしろ、効率化が進めば進むほど、そういうものへの需要が増してくる気がしている。そんな方向の仕事も考えていけると楽しいかもしれない、そんなことをふと考えました。

